はじめに
ビタミンAの誘導体であるレチノイドは、生体内では成長や細胞の分化の制御因子として不可欠なものである。また一方では、動物実験において大量摂取によって催奇形性があることはよく知られている。レチノイドでは、本邦においては乾癬の内服治療薬としてetretinate(チガソン)が認可されており、また前骨髄球性白血病の内服治療薬として1995年にall-trans
retinoic acid(ベサノイド )が認可されている。一方、海外では乾癬や白血病に加えて、にきびや老化した皮膚を対象としても数種類の薬剤が認可使用されており、またそのガン細胞に対する分化誘導作用に期待して海外で治験が進められているほか、副作用の軽減などを目的に数々の合成レチノイドの開発も進められている。
レチノイドは表皮においては、表皮角化細胞の分化制御、増殖促進作用がみられ、その作用は遺伝子の転写の段階で行われ核に数種のレチノイド受容体retinoic
acid recepter(RAR)が存在することが近年あきらかにされた。All-trans retinoic
acid(オールトランスレチノイン酸、以下単にレチノイン酸と称す)はこの受容体のリガンドとして、ビタミンAの生物活性の本体であるといえる。
レチノイン酸の皮膚に対する作用としては、in
vivoにおいて、表皮においては表皮角化細胞の強い増殖促進作用がみられ表皮は肥厚し角質はコンパクトになる。さらにメラノサイトの増殖抑制やメラニン産生抑制(否定的な見解もある)、真皮においては線維芽細胞のコラーゲン、エラスチン産生促進などの作用があり長期に使用することによって真皮は肥厚する。しかしin
vitroの研究結果とは必ずしも単純に一貫しておらず、他の液性因子との相互作用の影響も示唆されているが、生理作用のメカニズムの解明にはまだ不明の点が多い。
近年atRAの外用剤(Retin-A,
Renova )は、海外ではにきびや光老化の治療薬としても注目を浴びているが、本邦では未認可であるため使用されておらず現在のところatRAの外用剤が認可される予定もない。海外では、atRAの立体異性体であるisotretinoin(13-cis
retinoic acid)(内服、外用両方)や合成レチノイドであるCD271(Adapalene)(外用のみ)がにきびの治療薬として認可されており、atRAの内服薬が前骨髄球性白血病の治療薬としてすでに臨床使用されている。さらに現在、Tazaloteneなど数種の合成レチノイドが治験中である。血管新生を抑制することにより抗腫瘍作用があり米国で現在治験中のTAC-101もレチノイドである。(別紙1,2参照)
我々は独自にatRAなどの外用剤を調合し、老人性色素斑、炎症後色素沈着、肝斑、扁平母斑などの色素沈着症の治療を行っているのでここに紹介したい。
材料と方法
[外用剤]
0.1-0.4% all-trans retinoic acid(atRA)水性ゲル(以下、atRAゲル)、5%ハイドロキノン・7%乳酸プラスチベース(以下、ハイドロキノン乳酸軟膏、及び5%ハイドロキノン・10%アスコルビン酸親水軟膏を独自に調剤して使用した。成分は不安定であるため、毎月1回調剤し冷暗所に保管した。
[使用方法]
副作用についての十分な説明を行い、文書によるインフォームドコンセントのもとに外用剤の処方を行った。通常は治療をbleaching
stepとhealing stepに分ける。はじめのbleaching stepでは、患者自身にatRAゲルおよびハイドロキノン乳酸軟膏を毎日2回患部に塗布させ、昼間は日焼け止めクリームを併用させた。原則として治療開始時は顔面には0.1%、上肢および躯幹には0.2%、下肢には0.4%のatRAゲルを使用し、必要に応じて適宜濃度を変更した。色素沈着が消失(軽減)した時点で(通常は2-6週間の治療後)、healing
stepに移行する。すなわち、atRAゲルの使用を中止し、一時的に(通常1-3週間)消炎目的にてステロイド軟膏(0.12%dexamethasone軟膏)を使用した(注意:現在はステロイドは全く使用しない:2001年8月)。ハイドロキノン乳酸軟膏は5%ハイドロキノン・10%アスコルビン酸軟膏に変更する(現在は5%コウジ酸クリームを使用する:2001年8月)。(別紙3参照)
[色素の測定]
治療開始後は原則として1,2,4,6,8週後(以後2週毎)に診察、色素の測定を行った。色素の測定には、tristimulus
colorimeter (Chroma Meter CR-300O 、ミノルタ、大阪)およびnarrow-band
reflectance spectrophotometer (メキサメーターMX 16O 、COURAGE+KHAZAKA
electric GmbH、ケルン、ドイツ)を用いた。患部および周辺の正常皮膚をそれぞれ3回ずつ測定し、それぞれの平均値を測定値とした。メキサメーターではメラニン値、ヘモグロビン値を測定することができる。測定値はパソコンでカルテとして管理している。(別紙4参照)
[治療効果の評価]
治療効果の評価はメキサメーターで測定した患部のメラニン値と正常部位のメラニン値との差(相対的メラニン値:RMV)を用いて行った。RMVが5未満の症例をexcellent(5というメラニン値は測定機械の誤差範囲であるとともに肉眼的には区別がつかない)、RMVが80%以上改善した症例をgood、40%以上改善した症例をfair、それ以外をpoorと分類し、excellentとgoodの症例を有効と評価した。
結果
[臨床経過]
一般的には、使用を開始して2-3日目には発赤を生じ落屑が見られる(1週間こうした反応が見られない場合はさらに強い濃度の外用剤に変更する必要がある。)。その頃から塗布直後に灼熱感が見られることもしばしばであるが、しばらくすると沈静する場合が多い。徐々に皮膚炎が進行するとともに、色素沈着は薄くなっていく。早ければ2週間で色素沈着は消失するが、その時点では発赤が顕著な状態である。1-2週間が一番辛い時期でその後は使用を続けても炎症は収まってくる。色素沈着が十分おさまったらAtRAを中止してステロイドを短期間使用して皮膚炎を沈静化させる。Healingの過程で炎症後色素沈着を惹起する場合もあるが、特別な治療は必要としない。(治療経過中のRMV、RHVの変化:別紙5参照)
[結果]
10週間以上の経過観察ができた122例についてまとめた。有効率は老人性色素斑(79例)で83.5%、炎症後色素沈着(23例)で87.0%、肝斑(8例)で71.4%、扁平母斑(13例)では61.5%であった。部位別では、顔面(76例)で92.1%、躯幹(14例)で71.4%、上肢(26例)で65.3%、下肢(6例)では50.0%であった。治療中止後、炎症後色素沈着では再発は見られないが、老人性色素斑で若干例に、扁平母斑では80%以上に再発を認めたが、atRAを継続使用することにより維持が可能であった。(別紙6,7参照)
考察
[治療の効果]
Kligmanらは漂白作用があるとされるレチノイン酸、ハイドロキノン、ステロイド(dexamethasone)をそれぞれ0.1%、5%、0.1%の濃度で混合した親水軟膏の処方をそれぞれの単独使用よりも漂白効果が大きいと報告している。以後現在に至るまで、欧米ではこの処方をもとに多くの製品が市販されており、特に近年ではこうした製品をレーザーやケミカルピーリングと組み合わせて使用することも盛んに行われている。しかし、レチノイン酸やハイドロキノンは本邦では未認可のため、われわれは独自に外用剤を調剤し臨床試行を重ねてきた。われわれのプロトコールの特徴は1)最適な濃度(実際には市販品よりもかなり高濃度)のレチノイン酸を短期間使うこと、および2)ステロイド剤とレチノイン酸の併用を避け、bleachingとhealingの2ステップに分けていることである。これらの改変を加えることにより、老人性色素斑、炎症後色素沈着、扁平母斑、肝斑をはじめとする種々の色素沈着に短期間で大きな効果が得られるようになった。Mexameterで測定したメラニン値は、診察の際の治療効果の評価においてのみならず、bleaching
stepからhealing stepに移行するタイミングの判断の際にも、色素沈着の客観的指標として大変有用である。
AtRAは初期に皮膚にピーリング効果とともに炎症(発赤、灼熱感など)を引き起こすが、皮膚は徐々に耐性を獲得するためそのまま継続使用していても炎症は徐々におさまっていく。しかし、実際の治療の際には通常、色素消失(軽減)効果が得られた段階で副腎皮質ホルモンの外用に変更して早期に炎症を抑えるようにしている。しかし本療法に伴う副作用を軽減する目的で副腎皮質ホルモンをはじめからatRAと同時に使用することは、極端にatRAの薬効を抑えてしまうため極力避けるべきである。また、副作用を嫌ってできるだけ弱いatRAクリームを使用したり、使用回数を極端に減らすことは治療効果が減るだけでなく、耐性の獲得も炎症の消退も極端に遅くなるため薦められない。
治療の効果は疾患とその部位により違いがある。疾患別では老人性色素斑や炎症後色素沈着で高い。扁平母斑ではやや低いが、他の効果的な治療法がないことを考慮すれば、標準的な治療法になりうると考えられる。部位別では顔面の成績が最も良く、四肢になるとやや落ちる。薬剤の吸収や創傷治癒と関係する皮膚の血行の違いによるところが大きいと考えられる。
[作用機序]
本治療の作用機序については詳細は不明である(注意:現在はかなりその機序がわかってきた、他の新しい文献を参照されたい)。レチノイン酸自体にも漂白作用があるとされてはいるものの、単独使用の効果と比較すると明らかな違いがある。ハイドロキノンについても同様で、単独使用もしくはステロイド外用剤との併用が本邦でも古くから行われているが、本治療の効果とは大きな違いがある。一方、炭酸ガスレーザーなどでピーリングを施した後にハイドロキノンを使用しても本治療と同様の効果は全く得られないことからレチノイン酸のピーリング、角質剥離作用が本治療において中心的な役割を果たしているとも考えにくい。われわれの予備実験から、in
vitroにおいてはレチノイン酸自体のメラノサイトに対するメラニン産生抑制作用やチロジナーゼ活性抑制作用はハイドロキノンと比較すると非常に弱く、またハイドロキノンとの相乗効果も特に見られないことから、レチノイン酸の持つ角化細胞増殖促進効果、ターンオーバー制御作用が大きく寄与していると考えられる。われわれの経験では、実際に使用する際に皮膚炎を嫌うあまりステロイド外用を併用すると効果が大きく損なわれる。このことはレチノイン酸が角化細胞に与える増殖促進などの作用をステロイドが妨げることに起因すると思われる。
[副作用]
本療法の問題点はやはりその副作用である皮膚炎である。炎症を引き起こす薬剤を使用する場合は治療に伴う炎症が新たな炎症後色素沈着を引き起こす可能性があることを常に念頭において慎重に治療を行う必要がある。乳酸はαヒドロキシ酸(AHA)の一つで角質剥離作用があるが刺激があるため、現在はhealing
stepのハイドロキノンは10%アスコルビン酸との混合軟膏として使用している。アスコルビン酸は抗酸化作用があり漂白作用のみならず紫外線による皮膚の障害を防いだり、混合することによりハイドロキノンの酸化を防止する役割も果たす。
催奇形性については実際に吸収され血中に入る量を考慮すると内服薬の数千分の一のオーダーであり、非常に低いと考えられる。継続的に使用する若年者の扁平母斑でのみ一応問題となりうる。
[治療の適応]
ほとんどあらゆる色素沈着が治療の対象となりうる。とくに色素の強いものに有効である。自然消退が期待できるものの炎症を伴う強い治療により炎症後色素沈着を誘発する可能性があるため、非常に弱い色素沈着に対しては副作用の少ないマイルドな治療を行うことが望ましい。例えば、アスコルビン酸(ビタミンC)やトラネキサム酸(トランサミンR)の内服、アスコルビン酸、コージ酸、アゼライン酸、アルブチンなど副作用の少ない美白剤外用などである。ハイドロキノンの外用は特に高濃度になると灼熱感、皮膚炎が生じるため注意を要する。たとえ発症から長期間経過しても色素沈着が消退しないような症例でも色素の薄い(メキサメーターの相対的メラニン値で15以下)場合は、炎症を伴う積極的な治療は慎重を期すべきであろう。一方、色素の濃い症例(特に自然消退の期待できない長期間経過した症例)では、本療法のような強力な漂白治療が非常に有効である。メキサメーターで測定する相対的メラニン値で30以上のものに関しては初めから本療法を行った方が良いと考えている。
[治療の実際]
実際には難しいが、レチノイン酸を適量投与することが非常に重要である。レチノイン酸の場合、使用することにより皮膚の反応が弱くなる、いわば耐性toleranceを獲得するため、その皮膚の部位、治療状態に応じて迅速に濃度を変更することを要求される場合も多い。そのため、特に治療初期においては頻繁に(毎週)診察することが求められる。最終的に1回目の治療で消失しつくせなかった色素がある場合は、atRA中止後2-3ヶ月程度の間隔をおいて2回目の治療を始めることができ、この場合1回目よりも高い濃度を必要とする場合が多い。治療初期の連続使用を怠り十分な効果が得られない場合はできるだけ早期にatRAを中止し、十分な間隔をおくことが最終的に良い効果を得るために大切である。このように実際の治療には、それぞれの患者に応じて他の治療との併用も含め柔軟な対応をとることがより高い効果を得るために非常に重要となる。例えば、老人性色素斑でも過角化を伴うものには事前に炭酸ガスレーザーや液体窒素などで処置をする必要がある。
本療法は高濃度のレチノイン酸を使用しており臨床効果が大きい反面、副作用も強いため、治療に際しては患者に対するインフォームドコンセントを含む十分な事前の説明が必要であるとともに、医師がその経過を慎重に観察し状況に応じて臨機応変で適切な対処が要求される。
まとめ
本治療は、レチノイン酸による皮膚炎などの副作用が一時的には強いものの、そのbleaching効果は非常に強く、短期間での治療が可能であり、とくに濃い色素沈着には有用性が高い治療法であると考えられる。
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